top of page

なぜ、大東流の稽古を

なぜ、

大東流の稽古をしているのか。

それは、もちろん

おもしろいからです。(笑)

何がおもしろいのか。

ひとそれぞれあると思いますが、

私的にはやはり、

「一般的にこうだろう。。と

思われていることが、 

実はそうではない。」

ということを

「大東流の型稽古を通して

体験できる。」

からではないかと感じます。

入門当初は、

「単純に

その不思議さを解明しなくては」

という気持ちが強かったのですが、

今はその不思議さに、

「今までの人生にはない未知の

可能性を感じるほど。」です。

そこには、

「自由さ」があるようにも感じます。

また

その自由さは、

瞬間瞬間を渡り合い、

相手から自らの身を守るという

武術的観点からも

必須のように思います。

最新記事

すべて表示

今朝はいつもと違う 少しひんやりした空気でした。 まだまだ暑さも続きそうですが、 確実に自然は秋へ 向かいつつあるなぁと感じます。 自然が一歩先に秋に入りつつあるなか、 遅れて人間社会の夏があるようです。 そういう意味では、田舎に住んでいると 両方を味わえてお得ですね。(笑) それにしても、 夏は草木の成長が著しい、 私にとっては草刈りありきの日常、 普段よりも天気を気にしながらの生活です。 また

春が一気にすすんで 菜の花が開花しているのを 見て楽しむだけでなく、 今年は摘んで炒め、 食したりしています。 さて、 大東流の稽古では、 「みる」ことが 大事ですが、 これがやってみると 実は、 「みているつもり」 の場合がほとんどです。 これを実感し、 自身の人生を 振り返ったときに、 今まで長い間 なんとなくみて 生きてきたのだなと、 愕然とします。 そして、 慎重さが必要であることを 知ら

令和4年度諫早稽古会の 最後の稽古では、 一つの型を座りで一人づつ 古賀師範が稽古を つけて下さいました。 しかし、 この日はなぜでしょうか。 古賀師範の手を掴む前から 師範からただならぬ気が 醸し出されていたように感じ、 私の防衛本能からか、 腹の底から声にならない声が 自然と出てきたのです。 そして、掴んだとたんに 普段はでないような 野太い声がわが身から発せられ、 不思議な感じがいたしました

bottom of page