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現実を見て

技ひとつひとつの動きを

正しく行っているかどうか。

行なっているつもりで、

実際はそうではない。

最初はそのことに

自身が気づくことすら難しい。

いつしか気づくようになり、

だからといって

正しく行うことができるように

なるのではなく、

たまにできるくらい、

自分でも歯がゆい。

でも現実はこうなのだ。

受け入れざるを得ない。

そんなはずはないと、

この現実を受け入れず、

正しく行うことができるように

懸命に闇雲に頑張るということも

できるだろう。

それでも、

まず一旦できない自分の現実を

受け入れることが大切だと思う。

稽古では、

これを繰り返し行っている。

『 現実を見て、受け入れる。』

護身術の基本のような気がします。

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