なぜか擬人的に

先日、台所で炊事をしていて、

鍋をしまっている上棚の扉を開けたところ、

扉の内側に直径5センチほどの蜘蛛が

上から下にササッと動いていくのが見えた。

けっこうな大きさだったので、

思わず身を引いてしまったが、

そのまま見続けていると

その蜘蛛は、

さらに下に逃げようと

自らのまさに蜘蛛の糸をあやつりながら、

空中にふんわりと放物線を描きつつも

最後は床近くにしっかりと着地して

速やかに去っていった。

その姿を見て、

思わず思った。

『スパイダーマン

    みたいな蜘蛛。。』

今まで蜘蛛を見かけても、

当たりまえに

「あ、クモ(虫)がいるな。」

としか感じたことがなかったけれど、

このときは、

なぜか擬人的に感じたのだった。

そして今思えば、

この一連の動き

緩急が素晴らしいコンビネーション

だったので、そのように感じたのかも

しれない。

今でもその状況が映像で

思い出せるほど印象に残っているし。

大東流とは関係ないのですが、

気になったので

ブログに書いてみました。(微笑)

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