懐に入る

先日本部道場での稽古のとき、

型稽古で、

師範の、

『相手の懐に入っていくことと、

 攻撃することは、違いますよ。』

この言葉が飛び込んできた。

稽古において

第三者が、

外側の動きだけ見た場合、

相手の懐に入る動きも

相手を攻撃する動きも

同じように見えるだろう。

そして、

相手を攻撃するとは、

肉体のぶつかり合いに終始し、

お互いが痛い思いをする。

それでは、

相手の懐に入るとは、

どういうことなのか。

それは、

無の状態で、

力を感じずに相手を動かして

いるときだ。

逆に言うと、

相手の懐に入るとき、

欲や我執があると

相手の懐には入れない。

こうして書いてみて、

大東流の型稽古の奥深さに

あらためて

その凄さを感じてしまうのです。

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