昔読んだ本を

最近、昨年以前に読んだ本を

再読する機会に恵まれている。

というのも、

私は普段は一度手に取った本は、

特別でない限り何度も読み返して

読むことがない。

それが、ここ立て続けに、

以前読んだ本についての読書会

に誘われたり、

今この本を読むといいよと

薦められた本が実は読みかけた

まま本棚にあったりしているからだ。

これが、このような機会を得て、

再読してみると、

まるで初めて読むかのように

初めて入ってくる箇所が多く、

驚きやら情けないやらである。

とくに、

オイゲン・ヘリデルの

名著『弓と禅』は、

5年ほど前に読みかけたまま

棚に眠っていたのだったが、

この度読み返してみると

本質的なところで

大東流の稽古にも通じるところが多く、

稽古で師範が話すことや

私が感じることなどが、

文章化されているようで

驚きながら読みすすんだ。

と、この本の元になった講演は、

今から80年ほど前に行なわれた

らしい。

かなり昔の内容の本だが、

伝えようとしていることは

全く古臭くなく、

現代に生きる私にもすんなりと

受け入れることができる内容が多い

ことに、さらなる驚きがあった。

それにしても、

このような本は、もしかしたら

読み手自身の体験が進まないことには、

本当の意味で読むことができないように

なっているのではないかと、

薄々感じていたのだが、

今回再読してみて、

やっぱりそうなのだな。。

と実感している。

だから、

また、何年後かに読むと

また新たな気づきを与えてくれそう

である。。(笑)

最新記事

すべて表示

なぜ、大東流を続けているのか

なぜ、大東流の稽古を続けているのか。 一般的には、大東流は、 護身武術といわれていますので、 敵の攻撃から自分を護るための術を学んでいると いえます。 これが、実は私にとっては、 なんとなく腑に落ちていない感じがして、 大義名分的に言っている感じがありました。 というのも、 私は戦いに興味がありません。(苦笑) ですから、敵の攻撃から自分を護るという発想に 馴染みもありません。 ところが、 最近こ

道場でなくとも

いつもより早い梅雨の合間の晴れの日、 この貴重な晴れの日を逃さないとばかりに、 あちらこちらの畑であわただしく 麦が刈り取られている音がしています。 私は、家のなかで 錦戸無光先生の「合気の極み」を 読み返しています。 そのなかで、 「地球に立つことができない人は、 大地によりかかっているので 大地を活かせません。」 に、目が留まりました。 そして、 わが身に振りかえり浮かんできたのは、 私は、自

さわやかな五月

近くの麦畑も穂が出揃い 畑が満ち満ちています。 そして、 黄金色に色づきはじめた穂が 風になびくと穂波があらわれ それはそれは、 壮観な眺めです。 ツバメの姿も見え始めました。 そんな、いつもとかわらない 自然にホッと 気持ちが癒されます。 ところが、 人間社会は、 あいかわらず 新型コロナの影響で、 健康なひとも、 呼吸すらマスク越しです。 これは、異常事態です。 しかし、自宅周囲の自然は、 い