彷徨う心

私のこころは、

いつも彷徨っている。

そういうつもりはないけれど。。

稽古の時、

型稽古の最中、

先輩から

『心がここにないっ!!』

と言われて、

ハッと、

彷徨っていることに気づかされる。

そして、

何回か繰り返し、

注意がどうにか途切れずに

最後までいった後、

かなり消耗している自分がいる。

集中力が少しでも欠けると、

気持ちを意図したところには、

持っていけないし、

相当な努力が必要である。

稽古中ですらこのような状況だ

ということは、

日常生活における注意は、

当然自分が思っている以上に、

散漫であるのだな。。(苦笑)

ということを思う。

以前読んだ心理学者の本に

書かれていた

『武術とは、

 注意・集中の技術である。』

という、

一節を思い出した。

最新記事

すべて表示

なぜ、大東流を続けているのか

なぜ、大東流の稽古を続けているのか。 一般的には、大東流は、 護身武術といわれていますので、 敵の攻撃から自分を護るための術を学んでいると いえます。 これが、実は私にとっては、 なんとなく腑に落ちていない感じがして、 大義名分的に言っている感じがありました。 というのも、 私は戦いに興味がありません。(苦笑) ですから、敵の攻撃から自分を護るという発想に 馴染みもありません。 ところが、 最近こ

道場でなくとも

いつもより早い梅雨の合間の晴れの日、 この貴重な晴れの日を逃さないとばかりに、 あちらこちらの畑であわただしく 麦が刈り取られている音がしています。 私は、家のなかで 錦戸無光先生の「合気の極み」を 読み返しています。 そのなかで、 「地球に立つことができない人は、 大地によりかかっているので 大地を活かせません。」 に、目が留まりました。 そして、 わが身に振りかえり浮かんできたのは、 私は、自

さわやかな五月

近くの麦畑も穂が出揃い 畑が満ち満ちています。 そして、 黄金色に色づきはじめた穂が 風になびくと穂波があらわれ それはそれは、 壮観な眺めです。 ツバメの姿も見え始めました。 そんな、いつもとかわらない 自然にホッと 気持ちが癒されます。 ところが、 人間社会は、 あいかわらず 新型コロナの影響で、 健康なひとも、 呼吸すらマスク越しです。 これは、異常事態です。 しかし、自宅周囲の自然は、 い