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筋力に頼ると

掴んできた相手の手を

抵抗を生じさせることなく動かす。

ほんとに、

こうして文字にすると

何ていうことはない雰囲気すらする。

これが難しい。

なぜなら、

動かそうとすると

ついつい筋力に頼ってしまうからだ。

そうすると

抵抗が生じ動かせない。

筋力に頼ってはいけないと

頭では理解しても、

身体は筋力を使いたがる。

もう、

本当に嫌になるくらいだ。

それでも、

冷静になって考えれば、

稽古を通して、

何気ない動きにも

筋力を使っているのだなあ…

と実感することができる。

このように、

自らの無意識の動きが

明らかになるということも、

大東流の稽古の

醍醐味のひとつである

ように思う。

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