小さな争いから

イスや席が空いていれば、座る。

当たり前だけれど、

これが自分の中で、

誤った当たり前になると

話はちがう。

そのうち、

席に座るのが当たり前になる。

そして、

席が空いておらず座れないと

少し残念な気持ちになる。

そして、この残念な気持ちが、

次回、争いの気持ちを生む。

公共交通機関を利用する度に、

自分の中にこの争いの気持ちが、

引き起こされていたことに

気づいた。

きっかけは、近距離であれば、

空席があっても、席に座らず、

立つようにしたことだった。

そしてそうすることで、

不思議と気持ちが楽になった

からだ。

なぜ、席に座らないことで、

気持ちが楽になるのだろう。。

しばらく考えて

気持ちが楽になったのは、

自ら作り出した争いの気持ちから

解放されたからだと理解した。

やれやれ。。

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