先日稽古が終わったあと、
市内の神社に神楽を観に行った。
神社の能楽殿に入ると、
懐かしく落ち着くような
しかし寛ぐ場所ではない
独特の雰囲気があった。
神楽を観るのは初めてだったが、
この日は、現代風にアレンジ
しているという。
普段は、神楽とは縁のなさそうな
舞踏家や歌い手も舞台に上がるとの
ことだった。
舞踏やダンスをみるのも好きなほう
なので、興味深々だった。
ところが、
いざ始まってみると
神社の能楽殿という場所が
圧倒的に勝っており、
その場所で、
人間が一生懸命に演じようと
動いたり歌ったりすればするほど、
場から浮いてしまうのであった。
ようやく、
雅楽師のかたが歌う御神楽に
場と演者との融合を感じて
聞き入ることができた。
こんなに違いが現れるのだな。。
と初心者ながら観比べてみて
感慨深く思った。
『神の場所に、
人間の情は必要ない。』
こう、場所が言っているかの
ようだった。
そして、
ふと稽古のことを思った。
技の稽古においても、
自我を無くし、無の状態で
いなければならない。
(これがそう簡単ではない。)
相手を倒してやろう、
もっとしっかり立とう、
という自我は、
技に必要な自然な動きの妨げと
なるからだ。
私が、今回
この神楽を観にきたのは、
『自我は必要ない』
このことを、
もっと理解しろという
メッセージを受け取るためだった
のかもしれないと感じた。