大東流の先人たちが、
代々受け継いできた技が
変遷を経て、
現代の今も、
シンプルな型として
私たちにも稽古できる
ように伝わえられてきている。
しかし、
古の身体と現代の身体では、
基本的な使い方が異なる。
だから、
『現代の身体感覚のままで、
型稽古をしていても、
その型の本質は掴めない。』
という内容の対談記事の一節に
目が止まった。
武術とは縁遠いと思われる
ビジネス情報サイトにあった
対談記事だったので、恐らく
私が大東流をやっていなければ、
読んですらないかもしれないし、
読んだとしても何の印象にも
残らず読み飛ばしたかもしれない。
そんな記事だったが、
「なぜ入門当初からやる同じ型を
何年経ってもやり続けているのか。」
について、改めて考える機会となった。
それは、
同じ型をやり続けることで
『古の身体感覚』
を身体に浸み込ませるためなのだ
と思った。
思えば、
私自身も型稽古を続けるなか、
稽古だけでなく、
日常生活における
不自然な動きまでもが
炙り出され、気づかされ
正した動きがある。
歩き方はもちろんのこと、
箸の運び方、
歯の磨き方、
包丁の使い方、他(これからも続く)
などである。
そして思う、
古の身体の動かし方とは、
『自然に逆らわない動き』
それは、
『動いている本人も楽』
な動かし方なのだ!