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稽古について

稽古では、型稽古を通して

身体を造っていく。

立ち方、

歩き方、

手の動かし方、

座り方、

立ち上がりかた、

本当にきりがない。。

先輩方をみると、

まだまだ足りないことを

実感しているものの、

入門当初の自分を振り返って

みると、

やはり当時よりは、

動きに締りができてきている

ように感じる。

これは、以前に比べて、

エネルギーを無意識的に無駄に放出

することが少なくなってきたからだ

と感じる。

無駄を減らすだけで、

こんなにも楽になるとは。。

である。

特に日常生活において、

実感することが多くて、

本当にありがたく

感謝するばかりである。

しかし、先生は仰る、

「それぐらいで、

  満足していていいのか」

と。

私が今行き詰っているのも、

もしかしたら、

この現状での身体面における自己判断

による満足という慢心からきたもの

かもしれない。

これからは、

さらに、身体を整えながらも、

私は、

なぜ、大東流合気柔術という

武術をやっているのか

という、

より深いところを実感するために

稽古しようと思う。

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