今となっては

少し前、

実家でテレビを見ていたら、

父が、楽しそうに笑いだした。

ただ風景が映し出されているだけ

なのに?

である。

(世界の街を歩き周る番組です。)

年老いた父は、日頃

テレビを見ていて、笑いがずれることが

あったりするので、あまり気にしないよう

しているけれどこの時は、

あまりにも楽しいというか、

可笑しみを含みたまらない感じで、

私にまで笑いが伝染してくるほどだった。

いつもとは違うので、

私も笑いながら、

何がおかしいのか聞いてみた。

すると、

数十年前、父は仕事で、

ちょうどテレビに映し出されていた

オーストラリアのシドニーに寄った

ことがあり、

その時のことを思い出した

とのことだった。

当時、遠洋漁業に携わっていた父は、

漁場の交渉にあたっていたが、

結局、その漁場は、

交渉時、別次元で、

国が、先住民族アボリジニへ

正式に返還することを決めたため、

交渉決裂となったのだった。

その漁場は、アボリジニにとって

聖なる場所でもあったらしく、

断念したそうだ。

オーストラリアの青い空、青い海、

美しい街並みは、きっと当時も今も

変わらない。

そんな昔から変わらない自然の映像を

見ていて、当時のことが思い起こされた

のだろう。

私も初めて聞く話だった。

まるで遠い昔話でも聞いたかのような

感じがした。

恐らく、

交渉決裂した当時は、

父も笑うどころではなかったはずである。

だからこそ、今となっては逆に

可笑しくてしょうがなかったのだろう。

そこまでは、

話してくれなかったが(笑)

父の昔話は、つづく。。。きっと

最新記事

すべて表示

なぜ、大東流を続けているのか

なぜ、大東流の稽古を続けているのか。 一般的には、大東流は、 護身武術といわれていますので、 敵の攻撃から自分を護るための術を学んでいると いえます。 これが、実は私にとっては、 なんとなく腑に落ちていない感じがして、 大義名分的に言っている感じがありました。 というのも、 私は戦いに興味がありません。(苦笑) ですから、敵の攻撃から自分を護るという発想に 馴染みもありません。 ところが、 最近こ

道場でなくとも

いつもより早い梅雨の合間の晴れの日、 この貴重な晴れの日を逃さないとばかりに、 あちらこちらの畑であわただしく 麦が刈り取られている音がしています。 私は、家のなかで 錦戸無光先生の「合気の極み」を 読み返しています。 そのなかで、 「地球に立つことができない人は、 大地によりかかっているので 大地を活かせません。」 に、目が留まりました。 そして、 わが身に振りかえり浮かんできたのは、 私は、自

さわやかな五月

近くの麦畑も穂が出揃い 畑が満ち満ちています。 そして、 黄金色に色づきはじめた穂が 風になびくと穂波があらわれ それはそれは、 壮観な眺めです。 ツバメの姿も見え始めました。 そんな、いつもとかわらない 自然にホッと 気持ちが癒されます。 ところが、 人間社会は、 あいかわらず 新型コロナの影響で、 健康なひとも、 呼吸すらマスク越しです。 これは、異常事態です。 しかし、自宅周囲の自然は、 い