無の境地
- kiyo toriai
- 2015年3月21日
- 読了時間: 1分
『自らを無にすること。』
大東流の稽古においても、
大切なあり方である。
頭ではわかっていても、
すぐに、
技をかけようとする自分に
意識が向いてしまっている。
そして、結果、相手に隙を
与えてしまう。
もう、この繰り返しである!
そして、昨日、
来日した私の瞑想の師でもある
チベット仏教僧侶による
講和を聞いていて、
この『自らを無にすること』と
似ていると感じた話があった。
それは、
仏教の経典の一節を解説した話で、
菩薩(bodhisattva)には、
『私が存在しない。(No me)』
そして、この境地に入ると
とてつもない愛や慈悲の世界が
広がっているのだそうだ。
この話を聞いて、
私の勝手な妄想であるけれど、
自らを無にすることが、
菩薩の境地に近づくことでもある
とすれば、
それは、簡単なことではないなと
改めて感じたのだった。
そして、
あせらずに、
心に少し余裕を持ち
稽古を積み重ねていこうと思った。
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