top of page

掴んでいるのに

今日の稽古で、先生の受けを取らせて

いただき、いままでも感じていたものの

ぼんやりとして言葉にならなかったもの

がはっきりした。

それは、受けを取るために先生の腕を

掴んでも、掴んだ感じがしないことで

あった。

そして、今日も掴んだ感じがしないまま

狐につままれたかのように、いつの間にか

倒されてしまった。

この、

『掴んでいるのに、

掴んでいる感じがしない。』

これが、なぜなのかがはっきりした。

それは、普通腕を掴まれると掴まれた刺激に

対して肉体が反応し、筋肉の緊張または緩み

が起こる。

この相手の肉体的反応を通して掴んでいると

実感していた自分に気づいたのだ。

それは、まだまだ、力を拠り所にしている自分

が居るということでもある。。(残念失笑)

それが、先生の場合、これが全く無い。

もちろん、先生は姿形は普通であるし、

筋肉もあるのだろうけれど、

その機能の仕方が、普通ではないのだ。

そして、私は、掴んでいる実感を得られず、

自分の身体が、「あれっ?!」感的になり、

そして虚を突かれるがごとく、あっさりと

倒されてしまっているのだと。

そんなことも、わかった。

またわかってくると、この肉体的反応の世界

とは違う世界を、実感を伴い見たいとも思った。

そして、

頭では解かっていたが、

改めて先生が、

肉体による力を解脱されたかたなのだと

本当に理解した。

最新記事

すべて表示

今朝はいつもと違う 少しひんやりした空気でした。 まだまだ暑さも続きそうですが、 確実に自然は秋へ 向かいつつあるなぁと感じます。 自然が一歩先に秋に入りつつあるなか、 遅れて人間社会の夏があるようです。 そういう意味では、田舎に住んでいると 両方を味わえてお得ですね。(笑) それにしても、 夏は草木の成長が著しい、 私にとっては草刈りありきの日常、 普段よりも天気を気にしながらの生活です。 また

春が一気にすすんで 菜の花が開花しているのを 見て楽しむだけでなく、 今年は摘んで炒め、 食したりしています。 さて、 大東流の稽古では、 「みる」ことが 大事ですが、 これがやってみると 実は、 「みているつもり」 の場合がほとんどです。 これを実感し、 自身の人生を 振り返ったときに、 今まで長い間 なんとなくみて 生きてきたのだなと、 愕然とします。 そして、 慎重さが必要であることを 知ら

令和4年度諫早稽古会の 最後の稽古では、 一つの型を座りで一人づつ 古賀師範が稽古を つけて下さいました。 しかし、 この日はなぜでしょうか。 古賀師範の手を掴む前から 師範からただならぬ気が 醸し出されていたように感じ、 私の防衛本能からか、 腹の底から声にならない声が 自然と出てきたのです。 そして、掴んだとたんに 普段はでないような 野太い声がわが身から発せられ、 不思議な感じがいたしました

bottom of page