もっと意識する

稽古では、身体づくりも重要だ。

日頃使っていると思っていても、

いざ稽古で意識して使おうとしても、

つもりなので動かない。

そんなはずはないと何度も動かそうと

するけれど、動かしたいところではなく、

他の部位が力んでいるだけの、なんとも

トホホな状態である。

それでもどうにか動かそうとすれば、

それまでなかった感覚が生まれる。

『これを足がかりに…』

と、思い稽古を終えた。

そして、帰り道に、買い物をすべく

買い物かごを肘に下げて、いくつか買う物

をかごに入れ、他に買う物がないか店内を

見回していたとき、

アッと気がついた。

肘の内部を

全く使っていないことに!!

稽古が終わった時は、

これを足がかりに。。と思いながら、

その場を離れ、日常に戻るや否や、

すぐさま、元の木阿弥になっていた

私であった。。(恥)

これからは、腕や肘に荷物を掛けるときには、

もっと意識して、腕や肘を使おうと

気持ちを引き締めた。

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