久し振りに会った同志と話をしていたところ、
たまたま、今年亡くなられた小野田寛郎氏について
の話になった。、
そして、
彼の著作のひとつを薦められたので読んでみた。
氏は、第二次大戦中にフィリピンのルバング島で軍の任務に就き、
翌年に終戦を迎えるも、その事実を認識することなく、
その後、29年間島で最後はひとりで戦争を続け生存し、
戦後復興した日本に戻ってきた方である。
氏も著作の中で憤慨しながら、
… 「やせ衰え、穴の中で隠れて暮らしている
気の毒な元日本兵」
としか、とらえられていなかったような気がする。 …
と書いている。
多くの日本人が氏をこのようにイメージしたとおり、
私もそう思っていた。
しかし、本を読むと、
マスコミ報道で出来上がったこのようなイメージとは違っていた。
いつ敵国が襲撃してくるかもしれないという精神状態、
加えて、フィリピンの高温多湿の山の中という苛酷な状況がありながらも、
実に繊細に生き生きとした生活が描かれていた。
苛酷な状況とは、
(こう書くことは、尊大かもしれないけれど…)
別の言い方をすれば、
『余計なものがない』
ということなのかもしれない。
そんな状況で、自分の生に対して真っ直ぐ素直に生きている氏は、
実に生に溢れていた。
また、本に掲載されている投降直後のいくつかの写真にも
それが見てとれ、とても感動し涙がでてきた。
東日本大震災以降、
日本人の意識は変わったといわれるが、
それでも、まだおしなべて平和な日本には、
まだまだ、
余計なものがありすぎて、
生を実感しにくいのかもしれない。
と、感じた。